大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和58年(行ツ)27号 判決

上告人 大坪憲三

被上告人 国

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

原審の適法に確定するところによれば、(1) 高知簡易裁判所は、昭和五二年二月一四日同裁判所同年(ろ)第一三号窃盗被告事件の国選弁護人として高知弁護士所属の弁護士である上告人を選任した上、その出頭の下に二回の公判期日を経て、同年三月二四日の第三回公判期日において判決の宣告を行つた。(2) 上告人は、右の国選弁護人として、同月一七日同裁判所に対し、日当一万五〇〇〇円、報酬五万九四〇五円(うち記録謄写料一二六五円)、合計七万四四〇五円を請求した、(3) これに対し、同裁判所は、同月二四日、刑事訴訟費用等に関する法律(以下・「刑事費用法」という。)八条一項及び二項の規定に基づき、日当三八〇〇円、報酬二万二二六五円(うち記録謄写料一二六五円)、合計二万六〇六五円を支給する旨の決定(以下「本件支給決定」という。)をした、(4) 被上告人は、上告人が本件支給決定に係る日当及び報酬の受領を拒否したため、同年四月二〇日これを高知地方法務局に弁済供託した、というのである。

上告人の本訴請求は、国選弁護人は刑事訴訟法三八条二項の規定に基づき、客観的に定まつた適正な額の日当及び報酬を請求することができ、本件においてその額は上告人が高知簡易裁判所に請求した前記七万四四〇五円であるとして、被上告人に対しその支払を求めるものである。

思うに、憲法三七条三項は、刑事被告人に対し資格を有する弁護人を依頼する権利を保障するとともに、被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを付するものとし、刑事訴訟法は、右の憲法上の保障を全うするため国選弁護人の制度を設け、同法三九条一項及び刑事訴訟規則二九条一項は、国選弁護人は弁護士の中から裁判長がこれを選任する旨規定している。かかる国選弁護人制度の趣旨並びに刑事訴訟法三八条一項及び刑事訴訟規則二九条一項の規定内容に照らせば、国選弁護人の選任は、裁判長が訴訟法によつて与えられた権限に基づき一方的に行う選任の意思表示によりその効力を生ずるものというべきであり、国選弁護人と国との間に委任等の契約関係の成立を認める余地はなく、国選弁護人の日当、報酬等の請求権の有無及びその額も、法律の定めるところによるものというべきである。刑事訴訟法三八条二項は、国選弁護人は日当、報酬等を請求することができる旨規定するにとどまり、その具体的な支給要件、額等については何ら規定していないが、これらの点は他の法律で定められることを予定する趣旨であり、これを受けて刑事費用法八条一項及び二項は、国選弁護人に支給すべき日当の額は最高裁判所が定める額の範囲内において受訴裁判所が定める旨及び報酬の額は受訴裁判所が相当と認めるところによる旨を規定しているのである。そうすると、現行法の下においては、国選弁護人の請求し得る日当及び報酬の額は、あらかじめ客観的に定まつているというものではなく、受訴裁判所がその裁量により形成的に決定するところにゆだねられているものというべきであつて、国選弁護人は、受訴裁判所が決定した額の日当及び報酬を請求し得るにとどまるのであり(最高裁昭和二七年(オ)第四八三号同二九年八月二四日第三小法廷判決・民集八巻八号一五四九頁参照)、別訴を提起して右決定を覆すごときことも許されないものといわざるを得ない。以上の次第で、上告人は本件支給決定に係る額の日当及び報酬を請求し得るにとどまるところ、右の日当及び報酬は既に弁済供託されているわけであるから、上告人の本訴請求は理由がないものというべきである。

所論は、国選弁護人が国に対し請求し得る報酬の額につき両者の間に争いが存するときは、公開法廷における対審及び判決によりこれを確定すべきところ、刑事被告事件の受訴裁判所が一方的に右の額を決定するものとし、当該決定に不服のある者に対し民事裁判を受ける途も開いていない刑事費用法八条二項は憲法三二条及び八二条の規定に違反する、と主張する。しかしながら、憲法三二条及び八二条にいう裁判とは、現行法が裁判所の権限に属せしめている一切の事件につき裁判所が裁判の形式をもつてするすべての判断作用ないし法律行為を意味するものではなく、そのうち固有の司法権の作用に属するもの、すなわち、裁判所が当事者の意思にかかわらず終局的に事実を確定し当事者の主張する実体的権利義務の存否を確定することを目的とする純然たる訴訟事件についての裁判のみを指し、裁判所が裁量権を行使して権利の具体的内容を形成する裁判は、固有の司法権の作用に属しない非訟事件の裁判であつて、憲法三二条及び八二条にいう裁判ではないというべく、したがつて、非訟事件の手続及び裁判に関する法律の規定について憲法三二条及び八二条違反の問題を生じないことは、既に当裁判所の判例とするところである(昭和二六年(ク)第一〇九号同三五年七月六日犬法廷決定・民集一四巻九号一六五七頁、昭和三六年(ク)第四一九号同四〇年六月三〇日大法廷決定・民集一九巻四号一〇八九頁、昭和三七年(ク)第二四三号同四〇年六月三〇日大法廷決定・民集一九巻四号一一一四頁、昭和三九年(ク)第一一四号同四一年三月二日大法廷決定・民集二〇巻三号三六〇頁、昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁、昭和四一年(ク)第四〇二号同四五年六月二四日大法廷決定・民集二四巻六号六一〇頁、昭和四〇年(ク)第四六四号同四五年一二月一六日大法廷決定・民集二四巻一三号二〇九九頁参照)。刑事費用法八条二項の規定に基づき刑事被告事件の受訴裁判所が国選弁護人の報酬の額を決定する作用は、当該刑事被告事件の難易、当該国選弁護人の訴訟活動の状況、開廷回数等を総合的に考慮し、その裁量により右報酬の額を形成的に決定する作用であり、その性質は本質的に非訟事件であるから、これを公開の法廷における対審及び判決によつてする必要はなく、また、国選弁護人は右決定を離れてあらかじめ客観的に定まつた額の報酬請求権を有するものではないから、右決定を不服とする者に対し別訴の提起を認め、公開の法廷における対審及び判決により右報酬の額を最終的に確定するという途な設けることも必要ではない。このことは、前記の当裁判所の判例の趣旨に照らして明らかである。したがつて、右違憲の主張は失当である。

また、所論は、刑事費用法八条二項は、国選弁護人の報酬の額の決定につき、報酬を支出すべき国を当事者として参加させず、当事者に告知・聴聞の機会を与えていないから、憲法三一条の規定に違反する、と主張する。しかしながら、右決定が国民の権利を剥奪・制限する性質のものでないことは前叙のとおりであるから、右決定が国民の権利を剥奪・制限するものであることを前提とする右違憲の主張は、その前提を欠く。

さらに、所論は、原判決は刑事訴訟法四一九条の規定の解釈を誤るものであると主張するが、判決の結論に影響を及ぼさない点につき原判決を非難するものにすぎない。

以上のとおりであるから、上告人の本訴請求は理由がないとした原審の判断は、結論においてこれを是認することができ、論旨はいずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤島昭 牧圭次 島谷六郎 香川保一 林藤之輔)

上告理由

第一原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の誤りがある。

(一)非訟事件の性質に関する判断の誤り

(イ) 原判決は、「報酬支給決定は、当該刑事事件を担当した裁判所が刑事訴訟法等により刑事事件の手続きの一環としてそれに付随してなすものであるが、右の裁判所と国選弁護人との関係は、刑事被告人に対するものとは全く性質を異にし、裁判所に協力し適正な刑事裁判所の実現に当つた者に対する報酬の支給決定であるから、その性質は民事の非訟事件に対する決定と同じで、………」と述べ、国選弁護人報酬支給決定について、これを民事非訟事件の裁判であるとする上告人の主張をほぼ認めている。

私見によればこの決定は、「刑事訴訟費用等に関する法律」八条二項によつてなされる民事非訟事件の裁判であつて、「刑事訴訟法」の決定ではないし、また同法やその他の刑事法令にもとづく犯罪捜査、行刑等の刑事非訟手続の決定でもない。

(ロ) ところが原判決は、この報酬支給決定の性格について、「報酬は裁判所の決定によつて決まるものであり、当事者の請求権を確認するものではない」とか、「これは、刑事事件の被告人が貧困その他の事由により、弁護人を選任できない場合に国が代つて弁護人の防御等に当らしめた報酬で、本来被告人自身が負担すべきものを被告人保護のため国費を充当しているものである。したがつてその決定は非訟事件の性質を有する公法上の行為であり、いつも争いがあるわけでなく私人間の紛争とは違うから、当然公開、対審構造の民事訴訟によつて決定しなければならないものでなく………」などと述べ、これを講学上の本来的(固有的)非訟事件裁判であると断定している。

しかし、国選弁護は、その選任が裁判所の命令によることを除いては、その法的な性質は私選弁護と何等変わる点はない。それ故、報酬についても、私選、国選の間にはその支払義務者が刑事被告人であるか国(国庫)であるかの相違があるだけで、本来は両者は同質の民事訴訟事件である。ただ、この国選弁護は、弱者の人権擁護と公正な刑事裁判を確保するための、憲法で定められた制度であるから、報酬額については弁護士も極力自制すべきことが望まれる上に、事件は大量であり、関係弁護士も多数で、これを迅速かつ定型的に処理するためには、個々の契約では処理し切れないため、便宜的に非訟事件手続を借りたに過ぎないものである。

したがつて、この決定は、事件の内容、弁護士の費やさざるを得なかつた時間と労力、同種の事件の場合の私選弁護報酬の一般的相場、弁護士会報酬規定などを参酌し、裁判所が事件毎に客観的、合理的な報酬額を確認すべき手続であつて、裁判所に無制限に自由な裁量を許したものではない。

(ハ) そもそも、原判決が本件非訟手続を本来的非訟と考えているのは、わが国の弁護士制度を十分に理解していないためであるように思われる。

いうまでもなく弁護士は、自由な立場においてその業を営み、自ら得た報酬によつてその生計を立てなければならない独立自営の職業である。特に、わが国の弁護士は、憲法上にその根拠を持ち、基本的人権の擁護者として、時として官民の利害が反する場合は国民の側に立ち、国家権力とも争わなければならないという使命を負つている。現行法制が、弁護士の監督権を行政府や最高裁判所に与えないで、弁護士自治の中での適正な弁護活動を期することとしているのは、以上の理由にもとづくものである。

このため、わが国の弁護士報酬は、行政府や最高裁判所の権力的規制を受けることなく、弁護士がその良識と叡智を傾け自治の中から生み出した弁護士会報酬規定に準拠することとなつている。

原判決は、国選弁護は弁護士が最高裁判所の規制に服さなければならない特別の分野であり、ここでは弁護士はソリシター的なオフイサー・オブ・コート(裁判所の職員)であるので、その報酬についても裁判所の自由な裁量による決定に服さなければならないという誤つた見解に立つているように思われる。

なる程、現行法は、国選弁護人の選任、解任を裁判所の命令によらしめ、その報酬も裁判所の非訟裁判で決定させている。しかし、これは、弁護士の裁判所に対する協力により、憲法上の国選弁護制度を円滑に運用させようとした立法上の一手段であつて、これによつて弁護士の自治権を制限し、弁護士をオフイサー・オブ・コートにしようとする意図に出たものではない。

換言すると、弁護士は、裁判所よりの要請があれば、正当な理由なしに国選弁護人となることを拒むことはできないが、これは弁護士が裁判所に従属する身分の者であるためではなく、弁護士の公共的立場がそうさせるのである。それはちようど、医師が患者の診療を拒むことができない関係とよく似ている。しかし、このような受任義務と異なり、報酬については別個の観点から検討されなければならない。けだし、独立した自由職業を営む弁護士の報酬が、法律により具体的に規定されるならともかく、行政府や裁判所の権力的統制に服さなければならない理由は豪もないからである。

(ニ) また、国選弁護報酬支給決定を本来的非訟事件手続であるとする原判決の考え方の中には、この報酬の性質に関する誤解も多分に含まれているように思われる。

周知のように、戦前の官選弁護制度においては、実費を除いては弁護人報酬は無償であるという建前がとられていた。これは、本来国の義務でないものを、裁判所や弁護士が恩恵的に与えるものであり、その本質は慈悲と仁愛の精神に他ならないという理由によるものであつた。

しかし、今日の国選弁護は、法の下の平等、基本的人権の擁護、公正な裁判の確保という憲法の要請に応えるものであり、その運営は国の義務、その費用は公共の負担として考えられなければならなくなつている。旧法と比較すると、そこにはまさに質的な転換が見出されるのである。

したがつて、現行の国選弁護は、被告人に対して単に形式的に一弁護人を付せば足りるというものではなく、憲法の要請を満足させるためには私選の場合と変わらない良質、有効な弁護を提供しなければならないのである。

ところが、低廉な報酬は必然的に弁護の質を落とすことになる。いかに一部の弁護士がプロフエシヨンの誇りと自覚を持ち、経済的利害を度外視して国選弁護に奉仕しようとも、客観的な担保のない限り、全般的な質の低下は目に見えている。

この点について原判決の認識は、全く異なつた次元に立脚しているようである。おそらく原審裁判所は、国選弁護が弁護士という特権に随伴したプロフエシヨンの義務であること、この弁護は弁護士の奉仕であるから人並みの報酬を期待してはならず、その労をねぎらう意味で差し出された裁判所の寸志に対しては、ただ黙つてこれを受け取るべきであるという古典的な考え方をとつているものと思われる。

一方、わが国の弁護士気質に大きな影響を与えたイギリスのバリスターは、表面上は報酬については無関心で、ソリシターから提供される報酬を無条件に受けとるだけであり、しかもバリスターには、報酬についての訴権がないとされているが、原審裁判所はこのようなことも考慮しているのであろうか。しかし、わが国の弁護士制度は、このようなバリスターの伝統は採用していないのである。

(ホ) さらに、国選弁護報酬額の決定を、裁判所の自由な裁量による専権であると解すると、現行法制には大きた矛盾が生じてくる。

弁護人は、法廷における自由な弁論が保障されている点で、絶対的な価値が見出される。裁判所の顔色をうかがい、不当な訴訟指揮にも易々として追随するような弁護人は、被告人の保護者にはふさわしくない。

しかし、国選弁護報酬が裁判官の自由な裁量によつて創設されるということになると、正当な理由で裁判所に組しない弁護人が、報酬の面から裁判所の報復を受けるという虞れが出てくる。

裁判所は常に公正でなければならない。したがつて、刑事事件を進行させるうえでの当事者であり、この進行について弁護人と利害関係を持つ担当裁判官に、法律がことさらに弁護人の首の根を押さえるような専権を与えるはずはない。公正手続を期する上から、このようなことはあり得ないことである。これは、後述のようにこの非訟裁判が真正訴訟事件であり、上訴の途があるという場合にのみ許される法制度である。

(ヘ) さらに原判決は「争いがあれば民事訴訟によつて決定しなければならない場合も勿論存在するが、公法上のもので国が一方的に決定できるものは多数存在する。民法にある不在者財産管理人、後見人、相続財産管理人、破産法による破産管財人の各報酬、民刑訴訟法等の規定する鑑定人、通訳人の報酬、民事調停委員、家事調停委員の手当、司法委員、参与員の日当等がそれで、裁判所はそれらの人々の活動に対して支払うものであるから国選弁護人の報酬とよく似た面をもつているが、それを民事訴訟によつて決定されなければならないものとはしていない……」と述べ、不在者財産管理人らの報酬の決定が固有的非訟事件として扱われているから、国選弁護人の報酬もそのようにあるべきだという。

しかし、例示された職務と国選弁護人では、その選任の性質や業務性において大きな相違があることに注意しなければならない。

弁護士は法律事務を行なうことを業とし、その報酬によつて生計を立てている。また国選弁護については、他の一般法律事務と違つて前述のように国選弁護制度の維持という面から、正当な事由がなければこれを辞退することはできない(弁護士法第二四条)。

ところが、まず民法の不在者財産管理人、後見人、相続財産管理人について見みと、これらの者はそもそもこのような職務を裁判所から強制されたものではない。これに就任するのが嫌であれば、当然にこれを拒絶する自由があつたのであるが、多くの場合は本人との間に何らかの利害関係を持つているため、報酬は問題外として、進んでこれを引き受けたものである。しかも、これらの者は、ほとんどの場合このようなことを業とする者ではなく、このため法律上の報酬請求権を持たない者である。

つぎに破産管財人については、その職務に公吏的色彩が強く、就任すれば裁判所の監督に服するオフイサー・オブ・コートであること、その選任には本人の承諾が必要であるごと、非選任者は必ずしも弁護士、公認会計士等の職業人に限られておらず、報酬請求権の根拠や基準を欠いている場合のあることなどを考えると、これを国選弁護人と対比することは相当ではない。なお、この点は、民事調停委員、家事調停委員、司法委員、参与員についても同じことが言える。

最後に、鑑定人、通訳人についても、ことの性質上これには本人の承諾を得ることが絶対の要件である。もつとも、「民事訴訟法」三〇二条は、学識経験者の鑑定義務を規定しているが、これはとより本人の承諾を前提としたものであり、鑑定人や通訳人を引き受けるかどうかは、全く本人の自由とするところである(なお、「刑事訴訟法」一七三条二項参照)。実際問題としても、鑑定や通訳に当つては、裁判所はあらかじめその候補者に事件の内容や報酬を説明し、その承諾を得てはじめてこの命令を発しているのである。したがつて、これらの者が鑑定、通訳を引き受ける場合は、予定された報酬額を十分に納得し、この決定を裁判所に一任する旨の意志表示をしているのが現状である。

以上の理由により、原判決が、列挙したような報酬を国選弁護人のそれと同じであると断じたことは、甚だしく失当であるといわなければならない。

(ト) 最後に、訴訟と非訟の一般的法理から考えても、国選弁護人の報酬決定手続を本来的非訟事件と見ることには無理があると思う。

すでに述べたように、私選報酬も国選報酬も、民事事件であるという本質には変りはない。それがたまたま法律により非訟化されたからといつて、民事事件が固有の非訟事件となるはずはない。

一般的に言えば、本来的非訟は、

(a) 関係当事者が片面的で相手方を欠いているとか、あるいは反対に多数関係者が事件に直接、間接の利害を持ち、このため正当当事者が何者であるかが不明確で当事者による論争主義を採用することができないというような場合、

(b) 事件そのものが複雑な要素をはらみ、それぞれの事実の持つ意味も多様、多義的で、法的判断について明確な基準がなく、結局は裁判所の後見的、合目的的、裁量的な形成権にまつ以外には方法がないとされる場合、

(c)事件が公益に関するため、当事者の譲歩や権利放棄を許すことができず、このため弁論主義が排斥され、職権調査主義だけが妥当する場合、

(d)倫理的、道義的な要素が強い故に、そもそも公開の法廷での抗争にはなじまないというような場合、に限られるものである。

本件国選弁護報酬のように、国民の基本的な権利義務に関する紛争において、後述のように対立する当事者が存在し、これらの者に民事訴訟法の主張立証の責任を分配して互いに秘術をつくして闘わさせ、これを裁判所が公平な第三者的立場で審判することが可能な事案は、すべて訴訟事件であるといわなければならない。

(二) 刑事訴訟法四一九条の抗告の規定の適用の有無に関する判断の誤り

(イ) 原判決は国選弁護報酬支給決定に対する不服申立につき、「その決定に対する不服申立は刑事訴訟法四一九条による抗告のみが許され、これを民事訴訟によつて争うことを許す規定等はなく、またそう解すべき余地はないので……」とか、「控訴人は、現在の報酬支給決定に対し国選弁護人は不服申し立て方法がないというが、これも裁判所のなす刑事に関する決定であり、特に不服申し立てを禁止した規定は見当らないから、刑事訴訟法四一九条により抗告はできるものと解され、全く不服申し立ての方法がないという主張は採用できない」と述べている。

しかし、報酬支給決定に「刑事訴訟法」四一九条の適用があるとする右の考え方は、いかにも唐突であり、納得できないところがある。

(ロ) 原判決も認めるように、この決定は「刑事訴訟法」とは別個の、「刑事訴訟費用等に関する法律」による民事非訟事件の裁判であり、同法にも、かつ「非訟事件手続法」にも、抗告の規定はないので、刑罰権の実現に関する刑事訴訟、刑事非訟のためにのみ設けられたと思われる「刑事訴訟法」四一九条は、報酬支給決定には適用される余地がないものといわなければならない。

(ハ) のみならず、原判決は、右抗告における抗告権者を、国選弁護人だけと考えているようであるが、国選弁護報酬を支給するのは国(国庫)であるのに、もし抗告ができるとすれば、国も当然にこの手続きに参加することが許されなければならない。このことは、不当に過大な報酬が決定される場合のことを考えれば、当然のことである(これに対して、裁判所は不当に過大な報酬決定をすることはあり得ないというなら、それは裁判所が行政府の代弁者であり、公平な裁判所でないことを自白したことになる)。

ところが、現行法上、このような場合には、何人が財政主体の国庫を代表してこの手続に参加するかの規定は整備されていない。このような点からも、報酬支給決定に「刑事訴訟法」四一九条の適用があるとするのは、明らかに法令の解釈を誤ったものといわなければならない。

第二原判決は、「刑事訴訟費用等に関する法律」八条二項を合憲であるというが、右条文は憲法三一条および三二条に違背する無効の規定である。

(一)国選弁護報酬支給決定手続は、デウー・プロセスの保護を欠いている。

(イ) 憲法一一二条は、デウー・プロセスの原理を宣明し、「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。これは駒よそ人権の制約については、手続、実体の両者を法律で定めるだけでは足りず、その内容もまた適正でなければならないとする規定である。

もつとも、この条文の中の「自由」という概念が、財産権を含むかどうかについては、異論もない訳ではない。しかし少なくとも、財産権に関する裁判においても、その手続が客観的に見て公正でなければならないとする点は、ほとんど疑いをはさむ余地はないように思う。

(ロ) 以上の観点からすると、「刑事訴訟費用等に関する法律」八条二項には、つぎのような違法性が認められる。

(a)右法律にもとづく国選弁護報酬支給決定手続の中では、報酬を支出しなければならない国が事件の当事者とされていない。これは、裁判なくして裁判の効果を国に無条件に及ぼそうとする無暴な立法であり、御庁の昭和三七年一二月二八日の大法廷判決(刑集一六巻一一号一五九三頁)の趣旨から考えても許されることのできない憲法三一条違反の立法である。

(b) この国選弁護報酬支給決定手続の中には、告知や聴聞についての規定がなく、実務上もそのようなことが行なわれていない、いわば切捨御免の裁判構造である。したがつて、前述のように上訴の方法のないことと相まつて、これは憲法の要請するデウープロセスの理念に反し、違憲無効といわざるを得ない。

(二) 国選弁護報酬支給決定に不服のある者に対しては、公朋、対審の民事訴訟が保障されなければならないのにかかわらず、現行法はこの規定を欠いている。

(イ) 何人も法治国民として、法律上の争訟に対しては、公正な裁判所の裁判を受ける基本的権利を持つている。そして、この場合の裁判手続は、数世紀に亘る長い歴史の中で獲得された公開主義、口頭主義、直接主義、証拠主義の大原則に支えられたものでなければならない。これは、憲法三二条、同八二条の命じるところである。

それ故、国民の財産上、身分上の基本的な権利、義務に関する争いの中で、公開、対審の裁判になじまない性質の事件はともかくとして、そうでない事件については、すべて通常裁判への途が開かれなければならない。

ところで、すでに述べたように、国選弁護報酬は、私人の立場で自由職業にたずさわる弁護士が、その業務活動の結果取得する対価であるから、その基準についてはいろいろの考え方があるにせよ、報酬の法的性格そのものは私選弁護のそれとなんら変りはないはずで、このような一般財産権に関する紛争は「純然たる訴訟事件」とされなければならない。

この「純然たる訴訟事件」に関しては、御庁のこれまでのいくつかの判決(昭和三五年七月二日大法廷決定、民集一四巻九号一六五七頁、昭和四〇年六月三〇日大法廷決定、民集一九巻四号一〇八九頁など)により、その原理が十分に解明されている。

(ロ) このようにして、国選弁護報酬事件がその本質上「純然たる訴訟事件」に属するものである以上、「刑事訴訟費用等に関する法律」八条二項の裁判手続の中には、決定に不服ある者に対する民事訴訟への移行の規定が設けられるべきであつた。ところが、現行法はこの手続規定を設けていないので、所詮この法律は、国民の裁判を受ける権利を侵害することとなり、違憲、無効といわざるを得ないのである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例